気軽にヨンダリ〜ナ!


  テイスティング・エッセイ


1.なぜ?テイスティングするの?
2.「ワインは分かるものではなく楽しむもの」ですか?!
3.ワインは「起承転結」のストーリー!
4.「スローフード」インスタントにも出現!!
5.香りについての雑感
6.おぞましさと慈しみの間


 

No.1


なぜ? テイスティングするの?



テイスティングってなに?

そんなこと、考えたことないかもしれません。

でも、普段の食生活で無自覚にやっていること、それってテイスティング
じゃないですか?

テイスティングって、「味わう」という意味です。

例えば、お豆腐をプレーンで食べる。大豆の味をかみしめる。
でも、物足りなくなって醤油をかける。しばらく食べて、また物足りなくなって
今度は土しょうがをすりおろしてみる・・・・・。

素材の豆腐の味をかみしめてそこから味わいのバリエーションを
増やしていく。これ、豆腐をテイスティングして、想像力を駆使しています。

あるいは、コロッケを食べる。食べる前からソースをドバッとぶっかける。
でも、それは「コロッケだけだと味が物足りない・・・」とあなたが知っているから
ですね?たまにはマヨネーズもいいな!とかけます?醤油もアリですかね(^^)

ドバドバドバ〜   (*。*;)


でも、こうしたテイスティングはほとんど無自覚に習慣として
行われていることがほとんどです。確かに、テイスティングはテイスティング
ですが、「味わう」ことにひとしおならぬ興味のあるあなたにとっては
やっぱり「食欲を満たす」行為の領域からは出ない、のかもしれません。



と、するとテイスティングとは・・・・・・? なんでしょう?

一般に僕達が考えるテイスティング、またはワインテイスティングは
やはりプロのソムリエが仰々しく行うものですよね?

「色調」「透明度」「粘着性」「香りの強度」「香りの持続性」「香りの描写」
などなど、「ちょっと、難しそう」と思わせる雰囲気がムンムン漂ってますね!(^^;)



でも、このテイスティングを心理学の観点からちょっぴり考えてみると
「難しそう」という感覚とは別の見方が見えてきます。


人間と他の動物とを分ける特質について心理学者で「夜と霧」の著者
ヴィクトール・フランクルはこう言っています。→ヴィクトール・フランクル

「刺激と反応の間に選択の自由を持っていること」と。

そして、「その選択の自由の中にこそ、人間の人間たる四つの独特の
性質<自覚・想像力・良心・自由意志>がある」
と言っています。



わかりにくいかな・・・・・?



ワインテイスティングでこの部分をみてみましょう!


ワインを一口飲みます。 → (刺激)
      ↓
      ↓
わぁ〜、おいしい!!
(あるいは、ヒェ〜、マズイ!!) → (反応)


これは、ワインという「刺激」から、おいしい!という「反応」に
一直線、まっしぐらに走っていますよね。

確かに「おいしい!」と感じるのは幸せなことなんですが、このフランクルの
学説から言うと「他の動物と変わりないじゃん!」という事になります。

オヤジさんたちのビール飲みも、いっしょです。とっても幸せそうな
顔で愉快に飲まれているとは思います。

でも、「何も考えていない」という意味では(そのように見えます・・・(^^;)
飢えたライオンが仕留めた動物の肉をウハウハむさぼっているのと
あまり変わりない、ということです。

子供も大人も、テレビを見ながら ッポ〜! と食事をしています。
これ、ライオン以下ですね(^^;)


(勘違いして欲しくないのですが、僕はこのようなオヤジさんたちの「飲み会」
や「ながら食べ」を「野蛮だ」とか「非人間的」と完全否定しているわけではありません。
両者にも色んなレベルがあるでしょうし、大切なコミュニケーションになりうる時も
あるでしょう。ただ、今は「テイスティング」たけに標準をあわせお話ししています)



では、選択の自由の中にある四つの人間性について「テイスティング」
という観点から考えてみましょう。


自覚   →   これは自分自身を客観的に見つめる力

          具体的に言うと、ワインと自分との関係を知ること。もっと具体的に
          言うと、「酸」とはどんな感じ方をするのか、「甘さ」とはどんな感じか
          「オレンジの香り」という時、どんな香りを感じているか、などを自分の
          感性で自覚する、ということです。

          他の人がすっぱいと感じてもあなたにとってはすっぱくない、ことだって
          ありえます。

          もう一つ、自分はこんなワインが好きだ、こんな香りのワインが好きだ
          と自覚することですね。


想像力  →  文字通り想像する力 

          「色」を見て、どんな「香り」かを想像する。「香り」を嗅いでどんな味わいか
          を想像する。または味わい全体を通して、ワインの作り方を想像する。また
          どんな料理に合うのかを想像することもそうです。

          テイスティングの中では常に想像力を駆使します。


良心   →  「おいしい」「まずい」または、「良いワイン」か「悪いワイン」かを
          判断する能力であったり、「こんな美味しいワイン、皆にすすめるぞ!」
          と思うこと・・・(^^)

          テイスティングすること自体を良いことか、悪いことか
          心の奥底で区別する、ということも入るでしょう。


自由意志  →  他の誰の意見にも影響を受けずに自分の感性を自覚し、それを
            中心に考えてあなたの意志で行動する、ということです。
            ソムリエが「オレンジの香り」と言ってもあなたは「いや、バナナの
            香り」と言えることです。友達が「おいしくない」といってもあなたは
            「いや、このワイン、美味しいよ、だってね・・」とお話しできることです。


つまりは、「テイスティング」することの中には、最も人間らしい行為
「自覚すること」「想像力を働かせること」「良心でものを考えること」
「自由意志を貫くこと」すべてが含まれるということです。


あ、もちろんこれは他の色んな事に当てはまりますよ。本だって
音楽だって、映画だってそう。

何かに、積極的に関わろうとするとき
人は「人間」になる、ということかもしれませんね。


ここでひとつ、まとめておきましょう。


テイスティングって、とっても人間的!!
テイスティングはヒューマニズムだ!!



では、「なぜ、テイスティングするのか?」の疑問はもう解けたでしょう。

あなたが人間としての自覚を持ち、人間としての想像力を働かせ
人間としての良心を持ち、人間としての自由な意志を持つためです。

この人間は、「個人」という言葉に置き換えてもいいかもしれません。


他の誰でもない、「あなた」になるため。
かけがえのない「あなた」になるためです。

つまり、「あなた自身の感性を磨くこと」それ以外にない。

それは、あなた自身の人生の質をあなた自身で守リ、高める
ということにもつながるでしょう。



あなた自身がワインを通して人生の大きな主体性を発揮する、または
あなた自身がワインを通して人生の主として君臨する、そんな自分を
育てるのにも、ワインテイスティングは一躍買う事になるでしょう。



ワインを通して「人間」になろう!








   (参考文献 「7つの習慣」 キングベアー出版」)
  


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No.2

ワインは、「分かる」ものではなく「楽しむ」もの、ですか?

  

 もう、即答しちゃいますぅ!!


ワインは分かってこそ楽しいもの。


でも、その「分かる」とは、知識を外から吸収して「分かる」のでもなく
誰かの感性に自分を合わせて「分かった」と錯覚するものでもない・・・

自分自身の中に「発見する」という実感なのです。







ワインの事を知って、実際に味わって、そのワインが語りかけるものを
自分なりに感じること、が「分かる」ことです。


でも、既成のメディアはフランスの権威的な格付けだとか品種による
味わいの分析であるとか、エキスパートのコメントを押し付けるの
が中心で、本当にあなたが実際に味わって感じたことからは
遠い世界だったのではないでしょうか。


だから「わからない」と自信をなくしたり、ワインから遠ざかったり、健康目的だけで
赤ワインを飲んだり、「とりあえずビール!」にコンプレックスを感じたりする・・・^。^

それは教科書があって、それに自分の感性を無理やり重ねようとしない
かぎり「分かる」感覚になれない「権威主義的アプローチ」です。

難しい、分からない・・・という言葉でワインを形容してしまう人たちは
この感覚に取り付かれてしまっているのかもしれません。

ワインを感じる、分かる、というのはそうではありません。





では、どういうことか?





それは、あなたの中に「発見」するもの。
つまり、すでにあなたが持っている感性を見つけ出すこと

「持っていないと思ってたら・・・うひゃ〜!実は持ってました!!」


そういうものです。

この部分は大切ですから、もう一度書きます。

 



ワインは教科書的なものがあって、あなたがその通りに感じなければ
ならないものではなくて、あなた自身の中にある感性です。



あなたの感性=ワイン=真実なのです。




だから一杯のワインを通してあたなの持っている感性に気づく瞬間が本質的な
ワインとの出会いの瞬間であり、最高の喜びになるのです。ワインの
エモーションとはこの気づきに他ならない、と思います。


そしてこのエモーション(感動)はあなた自身の非常なる個人的感性の発露であり
誰からも脅かされてはならない。ましてやあなた自身があなた自身の感性に
自信がもてない。「私はわからない」と卑下すること、はありえません。


してはいけません!!


固定概念は取り払って、あなたの主観、感性を大切にしてください!!
そこから出発しない限り、ワインの神様はあなたからそっぽを向いていしまいます。


一生「ウ〜、わからない〜!」って言い続けますか?^^;


あなたが、あなた自身に如何に素直に向き合うことが出来るか。

非常に「啓発的」な言葉ですが、ワインを楽しむ上でとってもとっても大切なことです。


ワインは、学ぶもの、教えてもらうもの、
というより自分の中に発見するもの!


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No.3

ワインは「起承転結」のストーリーである!


「ワインはストーリー」なんて書くと、ワイナリーの歴史やそのワイン誕生の秘話
を想像されるかも知れませんが、そうではありません。

もっと簡単なこと。

単純にワインテイスティングを表した言葉です。



あたなはワインを飲むときどんな風に飲みますか?

ドボドボッとナミナミ注いで、ゴクゴクッて飲みますか?

少なめにグラスに注いで、グラスの淵でゆっくり混ぜて香りを楽しんで、口に注ぎますか?


口に注いでからはどうしてますか?

そのまま胃袋にストレートに流し込む?

口の中でゆっくりと愛撫しながら、時には歯磨きのグチュグチュみたいなことをしたり、
口に含んだままで空気を吸い込んで口の中に立ち込める香りを楽しんだりする?





いずれの飲み方にせよ、あなたはワインのストーリーを体験し、
その時間の流れを生きているわけです。

(「何をバカな!」って言わないで、もうちょっと読んでね!(^^)





ワインのストーリーというのは、


目 → 鼻 → 口 → 余韻
という「起承転結」なんです。


目鼻口余韻についてはどこのワイン本でもいろんなメディアでも語られています。

目(視覚検査) → 色、透明度、粘着度
鼻(嗅覚検査) → 香り強度、余韻、質、描写
口(味覚検査) → 糖度、アルコール、酸、タンニンなど・・・
余韻 → 持続性、質、全体的考察
     ↑
とっても大切なところですが、それだけではワインの面白さが半分です!


なぜか?

それは、目と鼻の間、鼻と口の間、口と余韻の間が語られることがないからです。

この4つの段階を分断してしまっては、あなたとワインとの間に
生まれる大切な対話がなくなってしまいます!

つまり、目、鼻、口、余韻のそれぞれの描写は、モノローグ(独話)

それぞれの間に存在しているのは、ダイアローグ(対話)なのです。

ワインはこの4つの要素がすべて絡み合ったストーリーと考えるべきで、
このモノローグ(独り言)とダイアローグ(対話)の相乗効果なのです。


え?またわかりにくい?



つまり、目でワインとあなたの中にストーリーが始まる(起)

そして、目で起こったことが鼻で発展する
(承)

鼻で感じたことが、口で衝撃的な何かを生む
(転)

その衝撃のエッセンスを余韻でまとめる
(結)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


まだ、わかりにくい?

では、シンプルな例を挙げましょう。



ここに一本の白ワインがグラスに注がれています。





あなたは先ず見つめる。

色は濃い、とっても濃い。しっかりとした麦わら色から黄金色のニュアンスが出ている。

で、ここですぐに香りに移ってはいけない。この色から香りを予想してみる。
ワインはあなた要求するのは、単に描写することだけではなく、次のストーリーの局面
「鼻=承」について想像することです。


「色が濃いから、香りも濃いだろうなぁ。おそらくフルーティーな香りだろう。
あ、でも黄金色の色合いもあるから、フム!樽熟成させてた
ナッツやバニラ系の香りもあるかもしれないな」

と言う具合に。

ここが目と鼻の間、境目であり僕がダイアローグと名づけた領域です。
つまりワインの視覚的な語り掛け(「問い」といっても
良いかもしれません)に対してあなたが答えているわけです。


そしてグラスを鼻に近づける・・・

       


香りは、トロピカルフルーツ、バナナやパイナップルの香りが絢爛と出ている。
樽香らしきヘーゼルナッツの香りも。そしてちょっぴり砂や土のような香りもある。

あなたの最初の予想はあたりましたか?

「色が濃いから甘いフルーツが前面に出ている樽熟ワインだと思ったけど、単純にそれだけ
じゃなくってミネラルな感じもある!畑の土の感じが良く出ているワインだなぁ!」

と、こんな具合に、あなたの予想に対する楽しい反省、
「小さなブラインドテイスティング」(当てっこ)も楽しめる!

そしてすぐ次の「味わい=転」を想像。これも「小さな当てっこ」を楽しむためであり、
鼻と口の間、境界の領域になる。

「甘さと樽熟感のある香りにミネラル香、だったら味わいは酸がまろやかで、
肉厚なタイプかな。ちょっぴり塩気も感じるタイプだろうか・・・」

そしてすかさず、口にワインを注ぐ

酸がキリッとしていて、わずかに塩気も感じる。そしてアルコール感も
きっちりあるがバランスはまだ酸に傾いている・・・・。

ここでまた反省。

「あれ?酸がもっと丸く感じてもよさそうなものだけど、随分と若い感じだなぁ。
尖っている。目、鼻で感じた印象とちょっと違うなぁ・・・・・」

と思わぬ展開に、ちょっぴりドキッ!

「思わぬ展開」というのは、目→鼻の展開で完全に柔らかな酸を想像できたのに
思ったより酸が尖っていた、ということです。

「酸が尖っていた」というのはワインの若さを示す言葉で、目→鼻の展開では
考えられなかったこと。つまり目→鼻まで順調に一定の質感を保っていた
流れが、口に来て違った展開になった。

人によってはそれを「デクレッシェンド」と言うでしょう。

もし味わいがこの上なくまろやか、かつ重厚感さえ感じさせるものであれば
「クレッシェンド」とも形容できたストーリー展開です。

そして余韻。
酸を含んだ心地よいフルーツ香がとても長く余韻に残る。
そして、鼻で感じたヘーゼルナッツやバニラの香りもじわじわと鼻に立ち返ってくる。

心地よい香りが余韻にも長く持続するのはやはり素晴らしいワインです。
このワインのストーリーは良いラストシーンを迎えた、と言えます。


お分かりいただけたでしょうか?


「じゃ、テイスティングの事、よく知ってないと、こんな予想できないじゃないか!」
って思われます?


その通りです。でも「よく知ってないと」というのはちょっと違うかもしれない。
テイスティングについてちょっぴり勉強して、何度か経験するとすぐに
頭に入ることです。だから、あまり堅苦しく考えて欲しくないし、第一
知ることをめんどくさがっちゃ、ワインに親しむ資格なし!だと思います。

あなた自身の快楽のためです。

知ることは楽しいこと!と了解しましょう!!


それに何も、ブドウ品種や土壌や気候などの領域に入った「マニアック」な話ではない。

あなたの感性に関する領域です。

いっしょに、ちょっぴり勉強してみましょう!ワインテイスティングについて!
これを知れば、どんな飲み物だって、どんな食品にだって応用できる。

あなたの素晴らしい感性を発見するために必要なスキルです。



ワインは起承転結のストーリーである。


これをちょっぴり頭において、さぁ!ワインテイスティングを学ぼう!!


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No.4


il 20 ottobre 2003
「スローフード」インスタントにも出現!!

「スローライフ」「スローフード」という言葉が巷に踊りだした。

嫌な感じがする・・・・。

これは予感ではなくて、大きな流れをもうどうしようも止めることが出来ない、
といった諦めや厭世的な感じで、腹の奥でなんだか消化不良でも起こしたか
のような痛みとも痒みともいえない鈍くて重〜い感覚。

マスコミで「スローフード」と流れるとどうしてもエッセンスをアイスクリームで
隠されたように感じる。その感じがまさにスーパーマーケットに山積みされる
商品に現れてきた・・・。

例えば某SB社の「スローフードシチュー」。一昨日買って(買うなよ!)、試食
してみたけど(作って食べてみるなよ!!)、「スローフード」と称して
「インスタント」(厳密にはインスタントではないが、煮込みにルーを入れれば
いいだけだからほとんどインスタントだよね)。

このパッケージによると「スローフード」のコンセプトは次の4点

@完熟トマトとボルドー産赤ワインで仕上げた自然なおいしさ
A素材の味わいをやさしく引き出す、ゆっくり楽しむ
B化学調味料 無添加
C植物油脂使用、牛肉関連原材料不使用

この4項目に含まれる名詞、形容詞、副詞、いかなる言葉にも本質的な
「スローライフ」のコンセプトに相当するものがない。

多分@では「自然なおいしさ」あたり?Aでは「ゆっくり楽しむ」、
BCは全体、あたりが消費者に「う〜ん、スロライフだア、と思わせ
ているのだろう。当たり前のことだが「完熟トマト」とはいえ思い切り
農薬を使っているかもしれない、「ボルドー産赤ワイン」だって除草
剤バリバリ使って栽培した葡萄を酸化防止剤入れまくって造った
赤ワインかもしれない、「ゆっくり楽しむ」にはある程度言葉どおり
のニュアンスは含まれると思うが、「化学調味料、無添加」と能書
きはあっても裏を見ると「ポークエキスパウダー、トマトパウダー、白菜
エキスパウダー、乳化剤、香料」などおよそ自然なプロセスを踏んで
いるとは思えない代物ばかり入っている。「牛肉関連原材料不使用」
も昨今の狂牛病騒ぎで落ち着かない市場を見て狙った方向付けだろう。

当たり前だが牛肉=危険ではない。全体的に良く言えば「安心」を売り
たいのだと思うが、今の世の中「安心」が「無難さ」につながって真にエモ
ーショナルな感覚を自ら放棄している傾向が強い。当たり前のことだが、
本当にエモーショナルなものを掴むためには「コスト」なり「リスク」が生じる
と思うけど。しかし、「スローライフ」などといかにもマスコミ受けする言葉が
出てきたもんだと思う・・・・。このシチューを買って安心だけはしてほしくない
ものです。

肝心のお味のほうだが、賢明で味覚への向上心がおありの読者は当然に
手にも取らないと思いますが、この手の商品には「一瞬の口当たりの良さ」
しか与えない非常に弱弱しい味わいしかありません

確かに、不愉快なまでに持続する安物カレーの油脂や化学調味料の感覚は
この「スローライフシチュー」にはなかったけれど、「いったい何を表現したいの
だろう」と思わざるを得ない「面白くともなんともない」味なのです。それこそ
素材の味がぼやけて素材が怒ってしまいそうな味です。具体的に申しましょう。

色合いはやや赤みがかった茶色でややグレーを帯びたような精彩のない色
(つまり有機酸が欠乏してるんだと思う)。香りは確かにトマトや赤ワイン、
ココア的な香りは感じますが、とってつけたような甘みとマーガリン的な油脂
の匂いが混ざっています。味わいは酸味がなく、潜在的に隠されているわけ
でもなく、野菜のエキスが凝縮された感じがありません。酸味、辛味、塩気
というのは味わいの骨となる要素ですが、もともとが弱弱しいので味わいが
グンと前に出ません、ああ、もうこれ以上描写するのも馬鹿馬鹿しくなって
きました・・・。

これなら「バーモントカレー」を「う〜不味い!この不味さが
いいのよね」なんて食べるほうが楽しめるかも・・・。(かなり自虐的・・・(^^;)

もうちょっと食を巡る商売も良識を持って欲しいと思うのですが、この手のこ
とは無視をしたほうが賢明なのかなあ。

レトルト食品、インスタント食品の「不味さ」「美味しさ」も
テイスティングによって自覚化されます。本当に美味しい
と思えば食べ続ければ良いのです。

でもそこには、「本物」を食べた経験とか、自分や家族の
心身の健康に対する長期的な思いとのバランスが必要
なんじゃないでしょうか。



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No.5


「ワインの香り」について

ワインのみならず色んなものが、視覚、嗅覚、味覚によって様々な
感覚を私達に引き起こしますが、セミナーをしていて最も言葉で表現が
難しいと思われていること、そしてやっぱりやってみて難しいのは嗅覚
だと思います。

ソムリエが言う様々な香りの描写は実際に同じワインをテイスティング
すると「うそだろ!」と思うぐらいに色々な表現を使いますよね。そうする
と皆さん、どうしても「難しい!」と思うか「そんなことどうでもいい」と思う
か、「やっぱりワインって奥が深い”」とただ感嘆するか、になっちゃいます。

いずれにせよ「嗅覚」が難しいというのは、ある意味語弊があって、単に
普段「使っていない」あるいは「言葉に還元することをしない」から難しい
と感じているに過ぎまないと思います。

現代人の我々は余りにも嗅覚をなおざりにしていると思いませんか?
それは、まず「臭い」感覚と「良い香り」を二極化しずぎること、あるいは
「臭い」感覚を「悪」とする考え方に起因すると思います。例えば、トイレ。

変な例えですが、朝のトイレに入ると家族の誰かの匂いが感じられます
よね。「あ、オトンの匂いや」とか。そのオトンの匂いを我々は消臭剤で
消そうとします。オトンの匂いは紛れもなく個性の塊であり、「フェロモン」
なのですが、「フェロモン」と言うと日本語の文脈だと(外国語はどうかな)
何だか性的なもの、エロの塊みたいなイメージで外に追いやる傾向があ
るように思います。

確かに不衛生なものには臭さがありますし、人類の歴史はそれを排除
する歴史といっても過言ではないかもしれません。ただある種のワインや
その他の発酵食物にも臭さがあります。その臭さは様々な香りと共存す
る事によって「艶かしいもの」に変貌します。「フェロモン」=臭さを単なる
性的な飾り言葉、あるいは不衛生なものとして排除しようとするとそのうち
生殖や種の保存が機能しなくなるかもしれませんね・・・・。

何よりもワインが楽しめません。

僕は何を語ろうとしてるんでしょうね。ここまで書いてとんでもない暴言
なのでは、という気もしてきました。フェロモンは臭いから、日常的に遠
ざけているからこそ、性的興奮に通じるのかもしれませんね。いずれに
せよ、西洋人がワインの香りと性的なイメージをかなり艶かしく捉えてい
ることは確かです。その点についてはまた触れましょう。僕とても好き
です。ワインの香りとエロスとの結びつき・・・。

まあ薀蓄はさておき・・・(これは薀蓄か?)・・・、先日のセミナーで
生徒さんが面白いことをおっしゃってました。

「普段、香りについて考えたり、言葉で表現したりしないので、皆と言葉
を出し合っていると楽しいです。それと、言葉には表しようがない時があ
りますが、自分だけの幼い頃の思い出といきなり直結したりすることが
あるので面白いです」と。

確か田崎真也さんについて書かれた本の中に彼が、普通なら単に
「キャラメルの香り」と表現するところを「僕がまだ小さかった頃、おばあ
さんに貰ったキャラメルの・・・」みたいな表現をしてとてもユニークだ、
みたいは描写がありました。

「ソムリエはワインをどう捉えるべきか」という議論にもなりそうですが、
確かに視覚や味覚に比べて、嗅覚がより自分の思い出に密接に関わ
ってきているようにも思います。

僕にも、子供の頃の思い出、映像と共にはっきり記憶し、今でもその
匂いをかぐと妙にノスタルジックな感覚に襲われる時があります。

例えば、タクシーの排気ガスの匂い(^^;)
(「ええ匂いや!」と後を追いかけてました・・・)

銭湯の匂い
(自分でも不可解ですが、今でも快感とも不快感とも違和感ともとれる
妙な感覚に襲われて思わず眉間に皺が寄り、佇んでしまいます・・・・)

それからローマの秋の香り
(自分が始めて長期滞在した大使館周辺の光景と共に甘さと枯れ草の
匂い、車の排気ガスがまじったような独特の匂いを思い出します、数年
前の秋に訪れたときはその匂いが懐かしくて本当に感動しましました・・・)。

変なたとえばかりですが、家の中の何かの匂いとか、田舎の祖父母の
家の匂いとか、色んな記憶に密着するように香りが脳裏に刻み込まれ
ているようです。

僕は、ソムリエとしてワインを描写するとき、出来る限り客観的な表現に
徹するべきという考えがありますが、それでも嗅覚を記憶と離すことは
とても難しく、また味気ないことのようにも思えます。

 自分の中にある懐かしい記憶の香りと、今傾けているグラスの中に
ある香りが一致したとき、一瞬そこは完全に自分だけの空間になるの
かもしれません。

大げさかもしれませんが、あたかも急に部屋全体が暗くなって自分だけに
スポットライトが当てられたような、本当にパーソナルな時空が生まれる
ような気がします。

もしかしたら悲しさや寂しさ、孤独という名の時空かもしれませんが、その
ノスタルジックな感じは、ワインを傾けている時間だけだからこそ、深みが
あり、温かみとともにまた未来に昇華されていくものなのかもしれません。


 
僕は、セミナーで「グラスを鼻に近づけるのを決して
照れないで!」と必ず言います。ワインの楽しみの
半分は嗅覚に起因すると思っていますから。

難しい顔しないでいいから(でも最初はついつい難しい
顔になっちゃうんですよね)、鼻の穴広げてしっかり
ワインの香りを吸引してくださいね!!


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No.6

il 20 gennaio
おぞましさと慈しみの間



昼過ぎ、自宅でのコンピューター作業に飽きて
近くのファミレスでワード打ちの仕事をしようと、
某Gストに車で行こうとした。

平日の昼間だと言うのに駐車場は一杯。
田舎の近江八幡としては珍しい光景なのかな。

ボクは、それを特に気に留めるでもなく
店のドアを勢いよく開けた。

ギャーハッハッハ〜!

まるでかつての「ドリフの大爆笑」の笑いの効果音の
ようなけたたましいオバチャンたちの声がドルビーシステムで
はちきれんばかりに耳に飛び込んできた。大迫力!。

店はほぼ満席状態で、ボクの座った禁煙席
より喫煙席の方にオバチャンたちが集中しており
ファミレス内はまるで「オバチャンたちの都」と化していた。

視覚、嗅覚、聴覚はまさに地獄の一丁目。

ボクは着席するやいなや気分が悪くなってきて
とてもじゃないが落ち着いて仕事ができる環境じゃないと
判断して、レジ係りのおねえちゃんに

「ごめん、ちょっとうるさいので出ます」

と、断ってから逃げるように店を出た。
Gストのおねえちゃんのとても申し訳なさそうな顔が
印象的だった。

その後、Gストから200mと離れていないJフルという
異常な安さで有名なファミレスに入った。

し〜んと静まり返ったほとんど無人のホール。

ボクは地獄からエレベーターで天国に上った気分で
ノートパソコンを広げ、メリハリのない味のマズイ
カップッチーノをすすりながら、集中した時間を過ごせた。

後で、つらつらと2つ考えた。

ひとつは、あのGストでのおぞましい光景の中で消費される時間と
タバコの煙は、オバチャンたちのより良い人生のために本当に有益に
働いているのだろうか、ということ。

もうひとつは、どうしてGストはJフルに経営的に圧勝していたのか
ということ。

前者は、オバチャンそれぞれの内面にしかその答えは見出せない
だろう。後者には、客観的に判断できる材料がいくつも隠されている
にちがいない。

後者の答えを見つけるのは興味深い。

前者の答えは、現代日本の精神的病巣と直結しているように
思える(笑)。

グローバリスム・大量消費社会の研ぎ澄まされた英知と
弛緩した下品なデカダンの関係。前者は後者を食い物にできる。

ちょっと大げさ?それとも見当違い?


先日ヴィム・ヴェンダースの「東京画」をTVで見た。
涙が出るほど美しい映画だった。

その中に1980年代前半の日本の「おぞましい光景」が
いくつも映し出されていた。

竹の子族、パチンコ、ゴルフ練習場、プラスチックの
ディスプレイ用食材・・・・。

昭和後期の日本のありふれた光景(一部今でも)、
しかし西洋人からみるとグロテスクな映像が
小津安二郎の「東京」を探し求める中で描写されていた。

ヴィム・ヴェンダースが冒頭に自らナレーションする。
(小津の家族の描き方は)

『欧米文化に染まって変化する人々の意識を
嘆くのではなく、失われていく家族の形を
ノスタルジー豊かに慈しんだものだ』

「東京画」もまさに慈しみの映画だった。

"慈しみ”
なんて美しい響きだろう。

そして慈しむことって、なんて主体的な振る舞いなんだろう。

そう思ったとき「おぞましい」と表現する自分の
人間的な小ささを感じた。

確かにおぞましいのだ。
そしておぞましいと嘆くことは誰でもできる。

でも、おぞましいと思うことで自分の中にある潜在的な可能性を
失う事になる、ような気がした。

大切なのは、オバちゃんたちの心配をすることではなく
自分ができること、直面することに集中し、行動すること。

あるいは、自分自身の中のおぞましさを直ちに積極的な
方向へと転換させることだろう。

  ヴィム・ヴェンダースの「東京画」を観てみる!

     さらに深めるために「東京物語」を観てみる!

 ※上の二つの作品はワインのグローバリズムを考える上でもとても参考になります。


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